悪意

最近よく耳にするのが、被害者にも責任がある。

詐欺かなんかで被害にあった事件で、一般の人でも気を付ければ被害に合わなくて済む場合によく聞くと思う。一つの結果(詐欺などの実害)には、複雑に絡みついた様々な原因が絡みついているわけで、必然的に被害者にも原因があるわけであり、それが普通とされる人間が冷静に考えれば避けられる可能性が高いとされることがあるなら、意識の持ち方を変えるための注意喚起としては肯定的に捉えることもできる。

だが、人を信用しようとする善意ある人間であるほど、悪意を持って近づいてきた人間に非常に不利な状況であり、それはいくら気をつけていようと、同じ賢さの人間なら圧倒的に後者の勝ち目が強く、
法律や監視を強めて、強制的に縛りつければ縛り付けるほど、それぞれの人が注意力や冷静さを保とうとすればするほど
悪意ある人間は さらにその法律の穴をかいくぐろうとしたり、もっと人を騙すことの能力があがっていたちごっこならず悪循環に走ってしまうことや  悪いこととされることをしたい衝動をうまく消えさせることが出来なければ、やりたい衝動を自分の意思とは逆な方向に押さえつけないといけなくなり、それが重圧になることもあると思う。
善意ある人間は 人をまず疑ってみるようになりやすく、それが疑心暗鬼の世界に若干なりやすいと自分は思う。
偽りの平和。強制的に押さえつけているだけの。

この人間の悪意を消すことが人間のルールで考えるなら大事なことであり、平和を維持するには必要不可欠なことであると思う。無知であることがよく問題を引き起こし、均衡取れない部分も必ず出てくるけれども、他人を大切にしたい気持ちを大切にさえしていれば、多くの困難は今現在以上にクリアできると自分は考えています。


最後にちょっと関連性ある考えを。
法治国家では、人が生きる社会システムを形成することへ強い影響力があるわけで、人間形成にも影響を及ぼす。何らかの人が犯罪をして刑を受けることになった場合、その罰せられる対象をその人個人だけにとどめるのはあまりにも結果重視主義で、原因については軽視または盲目的になりすぎていると思う。
言いたいことは、悪意を持つような人間形成に至った経緯があるわけで、国家が作り出した法の支配などの影響も少なくなく、無力な子供のときからの積み重ねによってそのような考えや行動が生まれたのであり、そういう人間にさせた 国 にも責任があること。ただ運が悪かっただけとか適応能力が無かったで片付けるには理不尽すぎる。

まあ国がそんなことでいちいち罰せられてたら 国家を維持できなくなるし。でも懲役10000年罰金30兆円くらいにはなってるかもね(゚∀。)
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by mydream53 | 2007-01-10 23:14
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